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社会や政治状況のせいか?

確かに「将来に夢を見れない」という言葉に対して強く反論できる要素が大人の私にも上手く見つける事が出来ません。ベビーブーム後期に産まれた私の世代はとにかく競争というのがキーワードであり、
保育園でも小学校、中学校でも勿論高校でも「学力や体力、知力、人柄までも」が人と比べられる尺度であり、その優劣が全員を「上下」に振り分けていたように思います。
「努力する事で上へ」。「努力しなければ下へ」。
人の人生の満足度は本来、個々に「何をして幸せか」が別々に有るはずなのに特に社会的な地位や経済的な裕福度が尺度の大きな部分を占めていた時代。必然的に「生きるために努力をする」「そうでないと負けてしまう」という強迫観念にもにた感覚が社会全体の中に有ったように感じています。
では私の時代、また私よりも前の時代は今と比べて「夢を見れたか」というとそれはまた別の問題のように感じています。具体的に芸大デザイン科の倍率は45倍あり、私の少し下の世代では60倍の倍率で入試が行われ、望んで、無尽蔵の努力をして、周りの誰よりも上手くなったと自覚しても尚、芸大は遥か雲の上の存在であったと思います。受験生は1日の大半を受験対策に費やし、睡眠時間を3時間に削り、全ての時間を学科と実技に充て、眠気をカフェインの錠剤を飲んでしのぎ、、、して立ち向かった。それでも意中の大学へは合格できず、まったく違うジャンルで進学したり、生計を立てたり。希望する事を体を壊すほど努力して手にしようとしてもかなわなかった時代。
そういう経験からでしょうか、「望んで手に入れればほとんどが手に入るだろう現在」を羨ましく感じたりもして。

もっと前の世代。段階の世代の少し下の世代でも現在同様、政治的に不安定だったり安保がらみで「日本はダメになって行くのでは?」とみんなが不安になっていた時代もまた、将来を悲観する要素が満載だったはずですし、戦中戦後は?  言い出したらキリが無いですけど^^;

私の父は戦中生まれで、貧乏な小作農を営む一家の長男として産まれました。
兄弟は2人の姉と2人の妹。祖父は父が13の時に他界し、祖母と4人の女兄弟を中学もろくに行かず、父が働き、支えて来た苦労人です。
明日食べるものも無く、毎日腹を空かせてそれでも働き続け、妹二人を短大まで進学させた。
自分は「学が無い」とコンプレックスに感じているようでも有りましたが、何より自分のやりたい事をやろうと思っても状況が許さなかった訳ですから仕方の無い事です。
そのかわり、向学心は極めて高くニュース報道番組やNHK教育の自然科学番組は欠かさず見て自分なりに勉強をしているようでした。若い頃、鉄工所勤めの最中に溶接の火花で片目の視力を失い、自動車の免許すら取らずじまい。
そうした父の影響でしょうか、出来る努力をせずに自分を蔑むだけで終えてしまう、、、なんて事が私の価値観にはまったく持って無かったりします。


時代が、世代が、社会情勢が違う。
その事と自分がぬるま湯につかり続けることは多分、違う次元の問題ではないかと思うんです。
by artnova | 2011-04-27 14:37
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