人気ブログランキング | 話題のタグを見る

どこかのタイミングで子供達は大人になる

良い予備校とは、、、、なんて大そうなタイトルの文章を書き、しかも要点をなかなかまとめられないまま、、。
そういう考え自体はかれこれ30年か変えつつ、僕も良い歳になったなあ、、、などと年寄りくさく思ったりもします。

大学入試が田舎の高校生では特に「初めて自分という人間の評価」をかなり厳しい「篩(ふるい)にかけられる」形でされ、他者との比較で自分が有用で有益な人物であるか否か、、、をある種、判断される機会を得ます。
少子化や規制緩和による入試倍率の低下は「篩にかけられずとも大学に入学できる」機会を作り、それにより「篩にかけられる経験のないまま」社会に出ていく機会を子供たちに与える結果をもたらします。
高校でも「入れそうな大学」を指導されたり予備校でも模試結果から「本人が望む大学」ではなく、合格の可能性だけで受験大学を選んでいく。
「自分なりに精一杯努力する」ことを
道徳的には美徳だと僕自身も感じますが、自分なりに精一杯やった結果が他者が「適当にこなした結果」よりも劣る場合、道徳的な価値だけを評価して人は「対価」を支払ってはくれません。

教育とか子育てとかで出る「得意を伸ばし、褒めて育てる」は正しいと思いつつ、結果、社会には「競争」があり続けていることを教えないままに子供を社会に送り出すことが正しいのか?と言われれば「否」だとも感じます。

競争を怖がり、全ての競争から逃げ続けることは「排他的で独善的な世界や世界観の中」でしか生きれない人を育てもします。



厳しい現実を押し付けるのではなく、少しずつ、厳しい現実「も」あるということを大人が完全に味方をし、フォローしてあげられるうちに見せてあげる必要は絶対あると思うんだよなあ。。。

# by artnova | 2023-07-01 19:10

良い予備校とはどのような予備校でしょう?

受験生を指導するにあたり、その「指導の方向性」に関してどのように「舵を取る」べきかいつも悩んでいます。

受験生ごとに「良い予備校」選びは異なるでしょうし、新潟のような狭く、人口も少なく、世帯収入も子供の学習に掛ける費用も少ない地域である者は
「授業料の安さ」=いい予備校と思うかも知れませんし、「楽しく通えること」や「友達がいること」なんて基準だってあるかも知れません。
ただ、予備校の宿命として「狙った大学にきちんと進学できる能力」を獲得できる指導かどうか、、、は外せませんし、そういう「命題」からそれた『絵画教室』は
子供の遊び場でしかないという考え方だってできます。

一定レベル以上の学習と能力の開発、論理立てた指導は得てして「楽しくない」と感じる方も相当数いるのだろうと思いますが、そこは、、、、、
「予備校というシステムとその命題」にこだわりたい、、、と僕は思っています。
かつて、僕が受験を試みた頃ほどの入試倍率はもはや存在しません。そういう意味では大変、大学入試全体が「簡単」にはなっています。それでも、首都圏のように
小学校受験、中学受験が盛んでない地方都市では「合格のために死に物狂いで勉強した経験」のない高校生たちがいきなり20倍の入試倍率での芸大受験ははっきり言って仕舞えば「ピンとこない」ってのが正直なところではないでしょうか?

多くの大人たちが(僕も含めて)かつての自分の「苦労話」なんかを持ち出して「今の若い奴らは、、、、」などと嘆く声もよく聞かれます。
それでも「競うことを怖がる」子供に『順位をつけない、それぞれの努力を肯定する』だけの価値観を与え、高校も大学も、部活動でも「序列よりも頑張ったかどうか」を
評価基準とし続けた挙句に「合わないから」という理由で入社1ヶ月で会社を辞職する、、、、なんて若い子たちを作り続けてもいる現実は結局のところ「大人が作った世界」な訳です。

地球温暖化が叫ばれて久しく、小洒落た用語としてのSDGsが「ワード」としてだけ、目標としてだけ市民権を得つつ、その実、何をも改善できないでいる。
それと同様に「歯どめることができない問題」として少子化とか、労働者人口の現象とか、コミュ障とか、引きこもりとか、、、があったりして、これ、みんな頭を抱えている「大人たち」の責任だし、「僕も含んだ大人が本気で取り組まなきゃならない」問題なんだろうな。と思ったりしてます。


一方では僕のようなアナログなおじさんには理解できない「職業」というのがこの20年でどんどん生まれているし、これまで当たり前だった「働く」とか「納税する」とか、家族を持つとか子供を産み育てる、、、とかがもう「当たり前ってことでもないよ」という時代になっている。
子供達は将来、今はない職業選択をし、現存する職業はその業務内容の変革を余儀なくされ、ひょっとしたら「なくなってしまう」憂き目にも遭うのだろう、、、、と考えると「空恐ろしい」と感じるのは僕だけじゃないと思うのです。

# by artnova | 2023-06-02 20:13

コミニュケーション

ご無沙汰しております(誰に?)

アートノバです。またまた久しぶりのブログです。

ブログを書く時間も惜しい程、忙しいのかと聞かれれば、、、忙しい訳でもないのですが、
書こうとすると「愚痴」ばかりになりそうでなかなか筆が進みません。書いていなかった数年間に起こった事を
思い出そうとするのですが、、、。もう先生と呼ばれて27年。先代の長谷川徹氏よりもずっと長くこのアトリエを
切り盛りしている山岸です。
 ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、先代が今年3月に逝去いたしました。享年71。
亡くなった事も友人から「新聞に葬儀の知らせが出てる」との電話を貰って初めて知った、不出来な「弟子」な訳でして。。
余りの無沙汰でしょう、奥様から何の連絡も頂けない「1番弟子」です。葬儀は新潟市青山会堂にて、氏との共作だった
旧本堂を描かさせて頂いた寺のご住職の読経でこじんまりと行われました。
先日、兄弟子より「奥様が新たに墓を建てられたぞうだよ」と連絡を頂戴し、また彼の兄弟子の帰郷を待ってともに
墓参り、、、ということに。
こうした知らせも奥様から相当嫌われている(らしい)私の元へは「間接的に」しか伝わってこないあたりはつくづく、
不義理をしたのだな、、、と自戒の気持しか生まれないですが。

元来、1人でいる事が好きですし、多い私ですので、ことさらに人様の「コミニュケーション」の能力についてとやかく
言える訳もないのですけれど、昨今の受験生におけるこのコミニュケーション能力の有無、、に関し、少し書こうと思い
数年ぶりのブログ、、、な訳です。

今年、地元長岡造形大のAO受験志願者が8名おり、6月末から準備を進め、エントリーシートも相当量、手伝って
7名が書類審査をパス。2次試験に進みました。
が、最終結果は1名のみ。散々なモノでした。これまでの経験から、エントリーシートを「ウケのよい状態に添削してあげる」
ことは出来ます。一ヶ月弱をほぼ書類添削に費やし、私から4〜8回もの添削を受ければそれは「みてくれ」のよい書類に
する事は出来ますが、2次の面接では子供たちの「コミニュケーション能力」がモノをいいますから、不安でなりません。
そもそも「まともな会話」が出来ないのです。
おそらくはこれまでもブログに書いた事があります「精神的な弱さ」や「努力できない子が増えた」云々の書き込み同様、
コミニュケーションが出来ない事を学校でも、ご家庭でも指摘しないのでしょうか?
創作は、、、少なくとも創作したモノで対価を得ようとする者はすべからく「クライアントが何を望んでいるのか」の理解
からスタートします。発注を受けたイラストやデザインは勿論、たとえ作家としてのアート作品であっても「時代や社会は
何を求め、何より自分が求めるもと他者の求めることの違い」などに思いを巡らし、自分だけが作り得る「素敵なもの」を
創作することが使命です。
以前から「マイペース過ぎる学生が増えた」ことは感じていましたが、そのマイペースや「自分なりに精一杯」だけでは
他者の求めに応ずる事が出来ないことを、子供たちに「誰が」教えるのでしょうか。少なくとも、大学受験における「審査」
では他の受験生と相対的に「優劣」を判断されます。描けない者よりは描ける者、考えがしっかりしていない者よりは
自身の考えがまとめられる者、他者の意見に耳を貸さない者よりは沢山の意見を聴き、咀嚼して新しい考えを生み出せる者
、、、を求められます。「話す」とは端に声が出せる事を言うのではありません。会話というその瞬間に空気を読み、相手の
真意を捉え、即座に判断し、「回答」する。そこには排他的な世界観はあってはならず、他者の質問に「質問」で返しても
いけません。
そういう当たり前の会話が出来る受験生は残念ながら全体の半分。またその中の極一部の学生だけが会話中、空気を読みつつ、
相手に嫌な気持を抱かせずに朗らかに会話できる。全体の10%未満ではないでしょうか。
AOや推薦、一般入試でも面接試験のある入試でこれほど欠落したコミニュケーション能力ででのトライをせざるを得ない状況は
ほとんどの場合、「学力に自身がないので一般では無理」という諦めから来ている様です。
では、そもそも学習する気持のない高校生が大学に行ってどうする?という疑念が湧きます。

まとまらない気がして来ましたので また後日。

# by artnova | 2018-10-07 14:17 | 教育

都会が「怖い」高校生達

夏休みを旅行と家事に費やし、仕事以外のことで頭と体を使ってクタクタの投稿者です。
いよいよ入試まで5ヶ月。夏の間に取り組んだ課題で浮き彫りになった各自のウィークポイントを
改善しつつ、新たなテクニックを求め模索する時期です。


 さてさて、夏期講習も終了し、受験までの年間カリキュラムの一つの節目を終えた訳ですが、講習会冒頭に毎年行うのが「進路意識調査」。早い話が受験生の現時点での気持の「ゆらぎ」がないかなどを
報告してもらうマンツーマンの座談会のようなものです。
最近の進路指導で良く聴かされるのが「東京に出るのはちょっと、、、、」という都会への恐怖心や
親元から離れられない「誰かに守られた穏やかな場所から離れたくない」という依頼心です。
お預かりする多くの受験生が現在活躍される何人かの有名デザイナーやアーティストへの憧れから美大受験を選択していますし、私共のところへ通ってくれてもいるのですが、ようは
「東京にはいかずに佐藤カシ○氏や佐○卓氏のようなでっかい仕事をするかっこいいデザイナーになりたい」
と言うのです。
 多くの地方美大が抱える問題は首都圏のそれ以上に「就職難」であるということです。
金沢美術工芸大のように「地元の地場産業である伝統工芸士を育成する」という大義をもった大学というのは実はそれほど多くありません。無論、地元の産業を首都圏へ、または世界へ送り出すための
一つの重要な要素としてデザインやそれを担う若者をを育てようと設立した、、、その思いが大きかっただろう事は否定しません。ですが現実は高額な設備投資をし学生から高額な授業料を徴収し、芸大卒だの多摩美院卒だのの優秀な指導者を据えても「地元の経済」を底上げしない限り、卒業生達は行き場を失うシステムは改善されませんし、改善するも何も、地元経済は中央に、中央(首都圏)経済は主に東京に、東京の経済はアジアに、アジアは世界に、、、と繋がっていて、ある日突然「地元経済が盛り返す」なんてことはある訳がありませんから、ことは「大学の教育システム」の問題では無かったりします。
多くの新興勢力(開校20年未満の美大)はほとんどがそうした「地方の活性化、都市化」をもくろみ、また、当て込んで設立されました。故に、地元経済の盛衰と一体化した「力」しか持ち得ない。
産業が盛んであれば就職もある。逆に産業が衰退すれば就職は無い。
 新潟の場合、地域では「三条、燕」のような金属加工業とごく一部の家電メーカー、空調機器メーカーが全国的に知られているものの、地場産業として手工芸などの発達は勿論、金沢や京都などとは比べるレベル(製品の善し悪しではなく、全国的な認知度)になく、しかも少数の技術者(職人さん)が家内制手工業的に行っていて「後を継ぐ者の不在」はあれど「給与をしっかりと出し、会社として経営して行ける」だけのマーケットを持っていないので「美大出身者、新卒者を雇用する」というふうには決してなって行かないのが現状です。
新潟に限らず他の地方都市でもまだまだデザインの「商売における位置づけ」は低く、且つ、そのデザインの多くの場合の現場である雑誌などの紙媒体もまた衰退している現在。大学が存亡を懸け、雇用など見込めないデザイナー予備軍を募集し排出し続け、また実状を知らされない、知らされても見ないようにしている高校生は憧れだけでデザイナーを目指し続ける訳です。当然、高額の授業料4年分を回収出来るような仕事に就けるのは一握り、、、、いやいや「ひとつまみ」なのです。
当然のように首都圏でも大阪を中心とする関西圏でも実状はそれほど変わりませんから、美大新卒者は20も30も入社面接を受け、内定が出ない。地方の美大生は地元では就職がないので首都圏に職を求める。

地方の美大から中央のより大きな仕事(広告費が巨額でメディアの露出度の高い)にありつくことは
不可能、、、とは言いませんが、かなりそれに近い。同様に就職は難しくともまだ可能性のある有名美大、芸大の方が「やりたい仕事にありつける」可能性が高い事は言うまでもなく、高校生にはまず
やりたい事を聴き、その為に可能性の一番高い大学とその高校生の性格は性質上、「カリキュラムがしっかりしている大学」と「自由度の高い大学」を紹介し、推薦したりします。ところが

「東京はちょっと。。。。。」
「大阪はがさつな感じがして、、、、」

選択肢がなくなってしまうのです。



居住する場所、都市の趣向は勿論自由ですし、行きたい大学に行って欲しいとも思います。
ですが、、、、
「東京に行かずに佐藤可し○になりたい」とは、今のところ
「海外にいくのは面倒だし、怖いけど、本場のイタリア料理が新潟で食べたい」と行ってるのと同義なのです。
# by artnova | 2013-09-10 19:19 | 教育

このままでいいなんて誰も思ってないですよね

当方のデザイン科を担当してくれている女性講師は8〜9年前に私が指導し、多摩美術大を卒業した
者です。長らく、きちんとしたパンフレットを準備出来ず、各高校へのDMもかなり脆弱でご迷惑をお欠けして来ましたが、この度、全てを一新した学校案内が出来上がり、夏期講習要項とともに全県の高校へ。同時に、デザイン科講師に日中、市内のいくつかの高校へ「営業?」に行かせています。

10数年前、先代所長より業務を引き継いだ際、私自身も全県30数校へのご挨拶周りをさせて頂き、その後も数回にわたり勤務講師がお邪魔させて頂きました。そのころから問題は上がっていたのですが今現在、高校の美術教諭の方々は半数が「非常勤」でいらっしゃいます。県下には107校の高等学校がございますが最早高校の美術教諭の正式採用試験は10数年なく、徐々に非常勤化が図られています。そのため私共のような外部業者がいくらDMを送っても未開封で放置されたり、開封して頂いても学生達の美術受講が選択で、美術部の指導も上手く回っていないという話。有益な情報も肝心の受験志望者に渡っていない現状があります。
結果、これは新潟に限った事ではないのですが、特に地方では美術大学受験者の準備不足が目立ち、
東京芸大を筆頭とする公立芸大、難関であり続ける私大への合格者は減りつつあり、また私共のような受験指導を生業とする予備校への通学者は激減しています。
無論、非常勤化の問題のみが原因ではなく、不透明な先行きへの不安から安定した職業への希望を持つ高校生も多いですし、定員割れをした美大への無試験に近い入試だけを求める受験生も多い訳ですから状況は頭の痛い話です。

ただし、事の本質はそうした「状況」のみにあるのでは無いようで、高校を訪問させて頂いても帰ってくるのは「そうした受験準備を促しているのですけど、肝心の受験生が何もしようとしてくれない」というご返答。問題の本質は状況もさることながら肝心の受験生達のメンタリティーにあるように感じますし、ほとんどの美術指導者がそれを感じていながら「何も出来ない」「何もしない」ことにあるようです。無論、我々のような一介の受験屋がご家庭の教育方針や子育てに口を挟む立場に無い事も、高校での指導、中学での指導、小学校での指導、、、受験に至る年齢までに教わるべき「生きる」為の力や想像力、協調性などの指導不足だけを捉えて「だからダメなんです」と言う事も言えるはずもありません。そう、私を含む「大人全員」が危機的とも言える若年層の「虚脱感」を生み出してしまったのですから。

ある高校の美術教諭からおしかりをいただいた事があります。
「アートノバさんは厳しすぎて当校の学生が自信を失ってしまいました。少し学生に迎合されて、時代のニーズを考えられては?」と。情けないお話ですが、そういわれて引きつった笑いしか出来ませんでした。

しかし本当にそうでしょうか。様々な要因、、、とは言いましたが、結局の所、そうした大人の子供に迎合する気弱なスタンスが自身の人生を考える事も状況を工夫によって換えようとする力も子供達から奪っているように思えてなりません。
斯様に語気を荒げても空回りするだけなのは20数年、3000人を超える指導の経験上、充分承知しています。批判だけは出来ても私自身がその子供達の抱える問題をクリアにして上げられずに悩み続けている訳ですし、今後も明確な答えや方法もないまま「体当たり」でひとり一人にアプローチを試み、「人生とか、人とか、、、、、大人になる、、、とかさ、面白いよ」と語り続けるのだと思います。



でも、、、ですね。高校3年生の夏。「浪人出来ない」条件で「先生の所では芸大に何人合格してますか?」はやめていただけませんか?^^:ね。 今現在新潟で受験対策をして東京芸大生をやっている学生は私の教え子の3人だけだと思います。。。
現実の正しい情報を早期に、学生に迎合するのではなく、「現実がどこにあり、どういうものなのか」「それを獲得する手段と努力の必要性」を我々大人が逆に彼らに啓蒙せずに子供達が幼い価値観や世界観で世の中を色眼鏡で見続け、自分を「辛いな」とだけ思い続ける状況はきっと無くなりはしないのでは無いでしょうか。


手をこまねいている猶予など、もはやどこにもないのだと言う事を大人は認識せねばなりません。
# by artnova | 2013-07-12 18:46 | 教育